我が名はなんとか菜である!

主に技術系の記事を書きますが、ポエムも混入します。

意外と人はちゃんと自分のことを考えている説

今日は息抜きです。

あ、あけおめ

僕は割と自分はどうあるべきみたいなことに関しては適当に考えている。

このようなブログを持っていてかつ、たまに突然ポエムのような記事を投稿する自分がこれを言ったところで果たして信じてもらえるか微妙なところだが、まあそういう意識で生きている節がある。

あくまで自分も他人のうちの一人なので、自分のことも他人を評価するのと同じように評価することが可能なはずである。
これは別に僕が自己評価を適切に行えているという話ではなくて、逆に自分自身が適当であることを知っているからこそ、他人が適当なのは当たり前であるという考え方が出来ると思っている。

他人と自分が唯一違うのは、その評価に基づいて行動や考え方の修正が可能であるという点である。

最近、人の多めないわゆるTwitter2的(様々なトピックについて各々が適当にしゃべったりするチャンネルが集合している)な某Discordサーバーに参加したのだが、各々の times 内で自己について深く思案している人が多く感じられた。

中には正直「そんな答えが出ないことを考え続けても疲れるだけじゃね?」みたいなのもあるのだが、人は社会で生きていくにはなんらかの役割を演じなければならないという考え方は思っていたよりも普遍的であるらしい。

以前は僕もこのような思考にとらわれることがしばしばあったが、数年ほど前にうつ病の治療をしていく中で、このあたりの悩みについては一定の結論を出すことが出来た。

その結論とは、『自分が自分をやめることはできない』ということである。

言葉にするとこれほど自明なことはないのだが、これは要するに結局他人に憧れたところでその人自身になることは未来永劫不可能なので、そうであればそういった悩みは捨ててとりあえず適当に好きなことをして生きてみるほうが楽だよねということである。

でもそれはおそらく僕は僕の強みについて自覚することが出来ていて、それが芯にあるからこそできる考え方なのだと思う。

僕が心折れた当時は確かに、自分には何の強みもなく常にだれかの下位互換でしかないのではないかという恐怖が心を支配していたことがあるので、自分の強みを見出すというのは強く意識しなければ出来ない、もっといえば自己暗示が必要な考え方であるというのは理解しているつもりである。

ところで、自分自身が誰かの下位互換であるという思い込みは、無意識に「他人」を「最強パーツの詰め合わせ人間」として考えてしまっているところに原因があると思っている。

いわゆる婚活における「普通のサラリーマンと結婚したいです」のような概念である。

社会には、そういうマジでなんでも出来る超人が存在していることは確かだが、そういったトップレベルの人たちが自分と競合になることはそうそうない。
もしあるとしたら自分自身が既に「トップレベル」であるはずで、そうであれば尚更そんなことを考えている場合ではないだろう。

特にインターネットではそういう最強超人が言論の幅を利かせがちで、そういった人たちは無意識のマッチョイズムを周囲に振りまいて劣等感を煽ってくるのが目立つ。

つまり、考えるだけ無駄なのである。

このような考え方を経て、僕は僕の強みを「周りにいる人に比べて自分はプログラミングが得意なほうである」と見出すことが出来た。

ただし、人というのは強みを自覚するとそれについて驕りがちであるというのも確かである。

そういう姿勢に陥らないためにはどうすればいいのかというのはまだ僕自身は結論が出ていないが、まあ他人にとって evil でない発言を心がけて、それでも傷ついた人にはちゃんとごめんなさいするのを忘れないようにすればいいと思っている。適当でいいよ適当で。

結論、何が言いたのかあまりよく分からない感じになったが、とりあえず落ち込んだ時はおいしいものでも食べて夜はちゃんと暖かくして寝ましょうということである。

睡眠は不足するとヤバいよ本当に

ところで、この記事はその某Discord鯖の人たちについて何か批判をするとかアドバイスをするのような意図はないことは明確に申し上げておきたいが、もし当該サーバーの参加者がこれを読んでそう感じたならお詫び申し上げたい。