我が名はなんとか菜である!

主に技術系の記事を書きますが、ポエムも混入します。

言語化の難易度を下げたい

書き散らします。

最近アウトプットの速度が露骨に落ちていて少し焦っている。

こういう作業ってなんというかリズムと言うか勢いというか、如何に習慣とするかが肝なので、一度この感覚が崩れてしまうと元に戻すのにめちゃくちゃ時間が掛かる気がする。

ちょっと前は原稿用紙10枚分ぐらいの文章を1時間ぐらいで書き上げるのなんて余裕だったはず(※体感ベース)なんだが、引っ越しやらなんやらで9月ぐらいにすべての生活習慣が変わったのと同時にその能力が失われてしまった。

正確にいうと、環境が変わったことでそこで新しいペースを作っている間に以前はどうやって生活リズムを作っていたのかが分からなくなった。まあそれだけ実家にいたころは家事周りを親に依存していたということだろう。

それでもなんとか最近は実家にいた頃にやっていた「一日中家でごろごろする」というのを実現するためにやるべきことが徐々に分かってきたので、頑張って続けてればそのうちパフォーマンスも元に戻っていくといいな。

まあ、頑張りたくはないんだけど。

閑話休題

人に与えられた時間は誰でも平等に1日24時間である。なので、アウトプットの量がすごい人というのは必ずなにかを犠牲にしているはずなのだが、そういうハイスペな人ほど気がついたら配偶者がいたりつよつよIT企業で成果をバンバン挙げていたりする。

そういう人ほど、周囲の嫉妬を買いやすいのはよくある話だ。

人は悲しい生き物で、想像が付かない領域に対して驚くほど無頓着である。

要するに「わからないことがわからない」という状態に陥ると、なんとかそこの整合性を保とうとして、突然正気を失い出したりする。

他人への無理解の原因はそこにあると思うのだが、自分でも何が言いたいのかがよくわからない。読んでる人もよくわからないと思う。

一つ確実言えるとすれば、自分はいつも自分より年齢や経験値が上の人と比べられがちだったので、以前はそれを真に受けて「自分は他より劣っている」という考えになりがちだったのだが、そのへんのメンタルコントロールのやり方が何となく分かってきた気がする。

自分の能力を絶対的に測るのは不可能だし無意味だ。

自分の客観的な評価が欲しければ、色んな人の自分への評価を総合した評価を「絶対評価」として扱うしかない。

そのためには色んな場所で経験やらなんやらを積む必要があるのだが、自分は今「経験を得るためには経験が必要である」と世間から言われているような気がしていて、それでモヤモヤしてこんな文章を書いている。

で、何が言いたいかというと、どんなに今成果を挙げている人だって、周囲から認めらなかった時期というのがあったはずなのだ。

はっきりいえば、そういう今現在業界の中心になっている人と自分が、絶対的に自分のほうが劣っているとは思っていない。

自分だってその人と同じ場数を踏めば肩を並べられる自信はまだ持っている。

ただ、このまま「認めて」もらう機会が得られないと、絶対に追いつくことは不可能だろうなという焦りも若干ある。

これを書いている時点で、最終面接まで行ったが落ちた企業が5社、返事待ちのままなかなか返ってこない企業が2社、N次面接のスケジュール調整中の企業が1社、面接が確定している企業が3社と言ったところ。

数字はちょっと適当かもしれない。まあつまり色々受けて色々話をしたということだ。

自分はめちゃくちゃ優秀というわけではないが、平均以下ということもないはずだ。それだけに、病み上がり後の就活にこれ以上ないほど苦戦を強いられていることに少し悔しさを感じる。

一体自分はどうしていれば道を外さずに済んだのだろう。

いつ、また元の、自分の思い描いていた道に戻れるのだろう。

たった一度の事故で道が閉ざされてしまうのは嫌だなぁと思いながら、今日も適当にYoutubeで宇宙ヤバいChとかのばまんゲームスの動画を見て寝ようと思います。