我が名はなんとか菜である!

主に技術系の記事を書きますが、ポエムも混入します。

27歳にして一人暮らしデビューした男の引っ越しエントリー

部屋が一通り片付いて新しい場所で生活していくためのリズム感が整ってきたので、文章を書くためのリハビリをそろそろしておこうと思います。

2016年から2020年までのざっくりした来歴

遡ること2016年、4月に社会人になることを控えていた自分は早速一人暮らしをすることを画策していた。
最初は当然、東京に居を構えるつもりで都心~西東京辺りを狙って探していたりしたけど、どうしても周りの施設やら居住環境やら家賃やらでいまいち決められずにいた。
というのも、実家の位置がかなり周辺施設に恵まれてる場所だったので、当然新居もそういう環境があるかどうかに目が行ってしまう。
人間というのは罪深い生き物で、一度生活レベルを上げてしまうと下げることは困難である。 よって、この「暮らしやすさ」というポイントについてはかなり自分の中のハードルが上がってしまっていた。
しかし、納得の行く環境のある部屋というのはどうしても家賃が割高であった。
加えて、ある程度の部屋の大きさも欲しかったため、そうすると家賃は8万~9万コースである。

悲しいことに2016年当時そんな収入は自分にはなかった(手取り17万)ので、泣く泣く延期することにした。
とはいえそんな調子では一生引っ越しが出来ないので、収入を理由に新卒で入った会社からは1年半で辞めた。(だって3期通して上がった給料が2500円って舐めてるとしか思えなかったので…)

さて、次に入った会社はここでも何度か書いているがドワンゴであった。
この会社はさすがに給与面では十分クラスだったので、前述の考えで動いていたら早速引っ越しという感じになっていたはずなのだが、どうやら2017年当時で自分は相当弱っていたらしく、とにかく家に帰って寝ていたいと思うようになっていた。

つまり、部屋を探せるような精神状態ではなかった。
今思えば、そのとき頼るべきはドワンゴに紹介してくれた大学の先輩ではなく心療内科だったのかもしれない。

うつ病発症から仕事をやめたちょっとあとまでと両親の話

当然、そんな精神状態なので働いて半年ほどで体調に影響が出始めた。
家に帰っても本当に何もやる気が起きなかった。
一番やばかったなと思うのは、どう頑張っても3時間ちょっとしか連続で睡眠できなくなっていた時期だと思う。これが「うつ病」と診断される前後1年ほど続いていた。

そこで罹った心療内科もひどいものだった。
とにかく薬の量と種類を増やしまくって効いてるかどうかを毎週質問攻めしてくるような先生だった。
こっちはそんな薬の効きとかどうでもいいレベルで疲弊している上に、「病院に行かなくては」というプレッシャーが掛かっている状態で通うのだから一分でいいから早く終わらせて欲しかったのに、毎週軽く30分は話していたと思う。

何よりきつかったのが両親の態度だ。
母親は、弱りきっている自分に対して将来の話をしてくるような人間だった。
動けず横になっていた時期に、まるで自分が怠けているような非難をしてきたことは今でも覚えている。
とにかく「病気を早く治そう」という態度で接してくるのがもう無理だった。

そもそも前述の酷い心療内科に行くように勧めてきたのもこの母親だ。
通い始めて3ヶ月ぐらいに「あの病院の先生が合わないから行きたくない」という話をしたときに「じゃあ自分で探せば」などとのたまったのだ。
まあ、人によっちゃそれも一理あるかもしれないけど、うつでまともな思考が出来ない人間に対して使う言葉ではないと思う。

父親は休職・退職して半年~一年も経たない自分に対して次の仕事の話をしてくるような人間だった。
ましてや一度自分もうつ病に罹って仕事を1年ほど休職していたことがあるのにも関わらず、そういった配慮が一切感じられなかった。
バイトをしろと言ってきたときには一体何を言っているのかさっぱり分からなかった。別に家庭的な財政がきついというわけでもなさそうだったのに、何故わざわざ苦労をしに行く必要があるのかと言いたかった。というか言った。(傷病手当があるので働く意味がないという話を最後まで理解していなかったように感じる)

ここ半年は、その病気がひどかった時期に受けた扱いについて一つ一つ問いただす期間だった。
結論から言えば、彼らは僕のことを一生子ども扱いしているということが分かっただけだった。まあなんとなく分かってたけど。
「何も出来ない人間になるぞ」と脅してくる割には自立のための支援をするどころかむしろ妨害をしてくる人間、といえば伝わるだろうか、正直ここらへんの話は詳しく書けば書くほど本題から逸れていく気がするので割愛します。(ちなみにお金周りの話もあります、こっちが渡したお金の。まードロドロっすね。)
病気のせいで働けなかったという話をしたときに「病気のせいにするな」と言ってきたときが一番頭を抱えてしまった。こいつらはそうやってモラハラを残りの少ない人生で他人に働いていくんだろうなぁと哀れになってしまった。

所詮、両親なんてのは勝手に子どもを作って勝手に子どもに期待して勝手に思い上がる生き物なのだ。
恩というのは受けた側がなんとなく感じてそれに対して報いるものであって、施した側が対価を要求するものではない。
まあ、お陰様で50代~60代の人間は明確に敵であると考えられるようになったのである意味感謝かもしれないですね。さっさと年金制度廃止しろや

新居確定まで

そんな感じで両親の人間性が明らかになったことで、こいつらと同じ屋根の下で暮らしていくということそのものにものすごい不快感を覚えるようになってしまった。
このままだと本格的に病気を再発しかねなかったので、とにかく次の新居をすぐに見つける必要があった。

とはいえ、まだ満足に仕事が出来ていない身なので、以前のように8~9万の家賃の家を東京に探しに行く気にはなれなかった。というかこのコロナ禍で家なんて探したくないし。
そこで考えたのが「じゃあ住み慣れた地元で家を探そう」ということだった。
結果としてこれはなかなかいいアイデアだった。
地元の不動産に入ってリストアップしてもらったところ、東京ではとてもじゃないが見つからなかった物件が山程あったのだ。

そして今、家賃6.2万、共益費3000円、そこそこの広さのワンルーム(おそらくVR Ready)で周辺にゲーセンから映画館からイオンまである素晴らしい場所に住んでいる。

回線開通まであと半月掛かるという点ではまだ100%の暮らしは開始出来ていないが、それでも徐々に良くなっていくだろうという確信がある。これは前の家に住んでいた頃には考えられなかったことだ。

まあこれからきっと経済的な悩みとかも色々出てくるだろうけど、とりあえずあと3ヶ月は生活出来る予定である。
今の医者(とても良い)も「今のまま生活できてるなら無理に働かなくてもいいんじゃね?」と言ってくれているので、のんびりやっていこうと思います。

以上、リハビリでした。

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こちらTypeScript, Reactならそれなりに触れます。
今はモーションキャプチャーや映像技術について興味があり、勉強しようと思っています、TwitterにてDMお待ちしております。

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